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★お散歩日和★ ~ご当地紀行~

ストーリー 脳腫瘍の16歳、作曲支えに(その2止) 僕がいる意味って 毎日新聞 2016年2月14日 東京朝刊

 ◆自問続け「誰かの役に立ちたい」

ひらめきの480曲

 加藤旭(あさひ)さん(16)=神奈川県鎌倉市=が頭痛を訴え出したのは2013年10月初旬、部活動のバドミントンに励む中学2年の秋だった。家族は初め、「ぜんそくのせいかな」と考えた。その持病は、低気圧の影響で発作が起きやすくなるとされ、台風の季節になると、調子を崩すことが多かったからだ。

 しかし、痛みはやがて勉強を妨げるほど強くなり、ある日、授業中に耐えられなくなった。「病院へ行く」。旭さんは母希(のぞみ)さん(43)に携帯メールで伝え、自宅近くの脳神経外科を受診した。磁気共鳴画像化装置(MRI)で、はっきりと脳腫瘍が確認された。

 その2週間後、東海大医学部付属病院で11時間に及ぶ手術を受け、側頭葉から腫瘍を摘出した。だが、1年もたたない14年8月に再発。小脳からの摘出手術を受けた後のMRIで、脊髄(せきずい)にも腫瘍が見つかった。11月から抗がん剤治療を始め、15年2月下旬から4月上旬まで、放射線治療を受けるため入院した。旭さんのA5判の手帳は3月のカレンダーに1日ずつ斜線が引かれている。放射線治療に伴う頭痛や嘔吐(おうと)、倦怠(けんたい)感、脱毛、意識混濁。つらい1日の終わりに、その日を乗り切った印を残し、入院生活の支えにしようとしていた。

 目が見えにくくなり、記憶が途切れ出すようになった。「僕がいる意味って何だろう」。自身に問い続ける闘病生活で、確かなことが一つあった。治療を続けてくれる主治医や看護師、応援してくれる家族や友人、学校の先生に支えられて自分がいるということ。「僕も誰かの役に立ちたい」。そんな思いが芽生えた。

 旭さんには、幼少期に開花した作曲の力があった。3歳でピアノを始め、10歳までに約480曲をつくったが、中学の受験勉強や部活動に忙しくなり、その後の闘病生活ですっかり忘れていた。思い出させてくれたのは妹の息吹さん(14)だ。「誰かの役に立ちたい」という旭さんの言葉を聞き、「お兄ちゃんの作曲を生かそう」と書きとめていた曲のCD化を提案した。入院から十数日目。希さんに「願い事を書いてみて」と言われた旭さんは手帳につづった。「自分の作った曲をなにかに役立てたい」。それまで「苦しい」「気持ちが悪い」など闘病のつらさが並んでいた手帳に、初めて前向きな言葉が書き込まれた。

 旭さんは、富士山や丹沢山系を望む神奈川県南西部の大井町で育った。家に希さんのピアノがあり、よちよち歩きの頃から鍵盤に精いっぱい指を伸ばして弾こうとしていたという。ピアノのふたが閉まっていると「開けて」とせがみ、3歳でピアノ教室に通い始めると、大人用の椅子に座って「本当にいつまでも弾いていました」と希さんは言う。楽譜をまねて画用紙に音符をお絵描きし、譜面にある音符が実際にどんな音なのか、鍵盤のどこをたたけばその音が出てくるのかをすぐに理解した。

 「旭の中で音楽が流れていて、それを楽譜で表現している」。希さんは、はっきりと感じた日を覚えている。

 4歳5カ月の時だった。旭さんに「あめあめふったふった」というタイトルと音符を書き込んだ楽譜を見せられ、「弾いてみて。ファはシャープにしてね」と言われた。希さんが弾くとト長調の曲になった。「旭が弾いてほしかったのと同じメロディー?」と聞くと、満面の笑みで「うん」とうなずいた。ファを半音上げれば、たしかに「雨がふってきたようなかわいらしいメロディーになって、楽しくなりました」と希さんは振り返る。

 「雪のけっしょう」「雨にぬれたなのはな」「きれいな夕やけ」……。頭の中に流れるメロディーをただ書きとめるだけという曲は、ゆったりと流れるような感じだったり、高音で速いテンポだったり、低音で暗く寂しい雰囲気だったり、高音と低音が入り交じって最後は和音で完結したりと変化に富む。自然に囲まれた大井町で、きれいな景色を見たとき、妹と遊んで楽しかったとき、珍しい動物を見たとき。日常の驚きや感動から旋律がわき出たことを感じさせる。

 旭さんに作曲の手法を教えた人はいないが、夢や希望を与えた音楽家はいた。旭さんは6歳から9歳まで、東京交響楽団などが主催する「こども定期演奏会」のテーマ曲に自作曲を応募した。「こども定期」はポスターに使うイラストから、テーマ曲、ソリストまでの全てを子どもから募集する参加型の演奏会。日本を代表する指揮者の一人、大友直人さん(57)も力を注いだ本格的なクラシックのプロジェクトだ。

 旭さんは6歳の時の「たのしいようちえん」、9歳の時の「おもちゃの兵隊」がテーマ曲に選ばれ、両曲とも作・編曲家の長山善洋さんがオーケストラ用に編曲し、サントリーホールで大友さんの指揮で演奏された。「自分が選ばれて、大友さんが指揮をしてくれたこと、本当にうれしかった」。旭さんの曲を聴いた音楽家たちが驚くのは質の高さはもちろん、ひらめきの量だ。「頭に浮かんだメロディーをいつでも書けるように五線譜を持ち歩いていた」と話し、メロディーが浮かぶと、ご飯も忘れて夢中で書きとめた。

 でも、受験勉強を始めた小学校高学年から作曲をしなくなり、中学に入ってからは勉強や部活動に夢中で作曲に心が向かなくなった。放射線治療を終えて退院した昨春、自宅療養中の旭さんに理由を尋ねると、「全然浮かんでこないんです。『作曲の力』って小さい頃で止まったのかな」と淡々と答えた。その頃は旭さんの視力が失われていった時期でもある。視界に入るものがゆがみだし、白が緑やオレンジといった全く違う色に見え始め、徐々に光を感じなくなっていたという。食欲も減退して体重が10キロ落ちた。妹の提案したCDが完成したのも同じ頃、退院から約1カ月半がたった昨年5月だった。

一筋の希望持ち続けて

昨年5月、三谷さんからCDを受け取る旭さん(右)=神奈川県鎌倉市で、小出洋平撮影
昨年5月、三谷さんからCDを受け取る旭さん(右)=神奈川県鎌倉市で、小出洋平撮影

 CD制作に尽力したのは、中学入学後からピアノを教えてくれた昭和音大准教授、三谷温(みたにおん)さん(56)だ。家族が手紙で旭さんの状態を伝え、CD化について相談すると、三谷さんは即座に演奏と録音を引き受けてくれた。

 5〜10歳の27作品を収めたCDのタイトルは「光のこうしん」。昨年5月、三谷さんから旭さんへの贈呈式も開かれたが、旭さんは可動式のベッドに横たわったまま、ほとんど上体を起こせなかった。「CDは病気や障害がある小さな子どもの家族に聴いてもらいたいです。それで、どうなるか分かりませんが」と慎重な言い方もした。「幼少時に遊びで作った曲」をCDに収める価値があるのか、人の役に立てるのか。旭さんの言葉からは、そんな不安が伝わってきた。

 ところが、大きな反響があった。「希望を持ちながら病気と闘う子どもたちの顔が目に浮かぶ」「身内にいる重度身障者の子に響いてほしいのでCDを買いたい」「悪性腫瘍の手術をした小学生の娘に聴かせたい」。三谷さんが代表理事を務める音楽活動団体「アーツスプレッド」などにファクスやメールが次々と寄せられた。旭さんは家族に言ったという。「こういうことのためにCDを出したんだ。自分の知らない人が曲を聴いてくれて、音楽でつながっていくことがうれしい」

 再び音楽に心を向けると、旭さんの体調は上向き始め、家族と一緒に食事ができるようにもなった。CDには児童文学作家、中川李枝子さん(80)の「くじらぐも」をモチーフにした曲も収録され、合唱用の楽譜が発刊された。昨年8月に記念の会が催された時、旭さんは上体を起こして参加者の合唱を聴き、友人と握手したり、談笑したりした。自宅では毎日、キーボードに触れるようになり、音楽を奏でる楽しさを思い出していった。

 こうした日々に、断片的な旋律が頭に浮かぶ瞬間があった。はっきりと形を現したのは8月の終わり。猛暑が途切れ、ひんやりとした空気を感じた朝、旭さんはベッドにいた。切ないメロディーが頭の中に流れた。視力をほぼ失って五線譜に記せないため、メロディーをキーボードで弾き、指の動きを希さんが動画撮影して記録した。後に、キーボードで弾いた音をパソコン上で音符に変換できるソフトを見つけ、今はこのソフトを使い、旭さんがパソコンとケーブルでつないだキーボードで音を取り、希さんが音の長さなど細部を整えて楽譜にしている。

 取り戻した「作曲の力」は、闘病生活のつらさと不安、それに押し流されまいとする意志の強さと結びついているのだろうか。昨年10月6日、旭さんが「朝ご飯がおいしくて幸せ」と言い、明るく1日が始まったその日の夜だった。希さんが「おやすみ」と声をかけようとすると、ベッドの旭さんが右腕で顔を覆った。日ごろから頭痛を警戒していた希さんが「痛い?」と尋ねると首を振り、「つらい?」と聞くとうなずいた。「どこが?」。旭さんは顔を覆ったまま、左手を拳にして胸をトントンとたたいて言った。

 「視覚障害者としての覚悟ができたと言ったけれど、そんなものはできていなかった。明るい世界が恋しい。光のある世界への憧れを捨てきれない。お母さんの顔だって見たい」

 とめどなく涙がこぼれ落ちたその時、新たなメロディーが生まれた。既に浮かんでいた短調の旋律から、明るい長調へ橋渡しをする部分だ。旭さんは携帯端末の画面上を8方向にスライドさせて文字を入力するアプリを使い、転調部分を端末上に夢中で記録し、翌朝から希さんと楽譜の入力作業に取りかかった。ベッドからキーボードの前に移動して座り、一音ずつ弾いて音を確かめ、何度もパソコン上で再生しながら推敲(すいこう)する。普段は30分も座っていると下半身に痛みが出るのに、2時間続いても平気だった。

 5日後、3分を超す曲の楽譜が完成した。「暗闇から一筋の光が見えてきたようなイメージ」で、曲のタイトルを「A ray of light」、邦題を「一筋の希望」とした。「僕と同じような方が曲を聴いた時、暗いところから明るいところに向かってほしいと思った」

 翌11月には、東京・銀座のヤマハホールでCDの収録曲がオーケストラ演奏された。「こども定期」の縁で旭さんを知る指揮者の大友さんと三谷さんらによる企画だ。若手の作曲家、熊倉優さん(23)が曲をアレンジしてバイオリン、ピアノ、弦楽オーケストラのための合奏曲にまとめ、三谷さんがピアノ、大友さんが指揮を務めた。「一層、音楽の世界に引き込まれました」。公演後、作曲家として正装し、ほほ笑みながら話す旭さんを、大友さんと三谷さんは温かく見守っていた。旭さんを往診している医師、関谷恭介さん(40)は言う。「オーケストラの演奏にキラキラ目を輝かせて耳を傾けているのを見て、音楽が今の旭君にとってかけがえのないもの、不可欠なものだと感じました」

 「今年は、いろいろなことがあったが、たくさんの方々に支えていただき、どれだけ苦しいことでも乗り切ることができた。これからも、目の前に立ちはだかるどれだけ高い壁にもめげず、一歩一歩でもいいので、前へ進んでいきたい」

 昨年の大みそか。日記帳代わりにしている携帯端末に旭さんはそう記した。年明けの1月2日にけいれん発作を起こして意識を失い、自宅近くの総合病院に運ばれた。その後も5回のけいれん発作で入退院を繰り返したが、今は自宅療養に戻り、再びキーボードに向かっている。

 旭さんは、闘病中の子どもたちへの祈りをCD制作に込めたという。「病気の子どもたちも何かをしたいという気持ちを持っていると思う。周りの人にも、子どもたちが何をしたいのか、何ができるかを考えてもらえるとうれしい」。やりたいことを実現できたら、病気の子も寂しくないかもしれない。自分にとっての作曲のように。


by hata_28ych | 2016-05-14 20:39 | 中学入試 | Comments(0)

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